三次の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

広島県三次市歴史探訪
三次市の概要
三次市は、広島県の北部に位置し、北に鳥取県、東に庄原市、西に安芸高田市と隣接しています。中国地方の中心にあり、中国自動車道を中心に一般国道5路線、JR3路線、陰陽連絡道路が放射状に拡散する交通網を構成し、陰陽連絡・経済・産業を支えています。

三次のあゆみ
三次盆地には古くから人が住み、文化が開けており、貴重な文化財が多く残っています。特に、古墳は広島県内の3分の1にあたる3,000基余りがこの地域に散在し、中国地方有数の古墳密集地となっています。江の川流域の谷筋には、かんな流しや野鍛冶の跡など、「たたら」による製鉄の遺跡が多く存在しており、古代における鉄の一大生産地でした。

中世の吉舎地域では、地方豪族の和智氏がこの地を約200年ほど支配しており、南天山城の城下町、あるいは陰陽を結ぶ街道の宿場町として賑わいを見せました。その後、戦国時代末期になると江の川流域で西日本最大とまでいわれた漁業文化が発展します。そのとき始まったとされるのが現在も観光事業として知られている「鵜飼漁」です。
そして1591年、毛利氏の家臣、三吉広高が比叡尾山城から比熊山へ移城し、城下町をつくったことが三次地域発展のきっかけとなりました。毛利氏の防長移転により、城は築城途中で廃城になりますが、1632年に浅野長治が五万石をもってこの地に分封されてから、三次藩の治世が確立されました。
その頃生まれた伝統産業として、三次人形があります。藩主の浅野が江戸浅草の人形師をつれ帰り、家臣が一子をもうけるたびに祝物として、土人人形を贈ったのがはじまりといわれています。

三次市発足前は、西城川に架かる巴橋をはさんで、北側が三次町、南側が十日市町と独立した地方自治体でいわゆる双子町と言われる市街形態でしたが、1954年に市制が施行され、三次町や十日市町などが合併して三次市が誕生しました。それに伴い、旧十日市駅が現在の三次駅となり、旧三次駅が西三次駅となりました。その後、2004年には、三次市、君田村、布野村、作木村、吉舎町、三良坂町、三和町、甲奴町の1市4町3村の8市町村が合併し、新・三次市となり、現在の市域となっています。


三次の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
三次市歴史民俗資料館
住所: 〒728-0021
広島県三次市三次町1236 [地図を見る]
電話番号: 0824-64-3517
開館時間: 10:00〜17:00
休館日: 毎週月曜日
入館料: 無料







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